THE YARD



HAKATAORI

博多織

博多刺繍
博多刺繍

深い親子の情愛。母から娘への願いーー。博多織は、伝統工芸品としてはさることながら、地元福岡では昔から親子三代に渡って代々受け継がれる嫁入り道具としても愛されてきた。嫁入り道具として大切にされる背景には、織物としての丈夫さだけでなく、博多織の歴史と伝統の柄に深い関わりを見ることができる。

博多織の起源は古く、時は遡ること鎌倉時代の嘉禎元年(西暦1235年)。博多の商人・満田弥三右衛門(みつだやざえもん)が宋の時代の中国へ渡り、朱焼やうどん、蕎麦、お茶などと一緒に、唐織の技術を持ち帰ったことがそのルーツと言われている。ともに宋の国へ行った聖一国師は、帰国後は博多に承天寺を開山。その聖一国師からの提言により、仏教用具の独鈷(どっこ)と華皿を博多織の彩紋として採用したと伝えられおり、この2種の結合紋様に、孝行縞、親子縞と呼ばれる2種の縞を配した柄が、博多織と呼ばれるようになった。さらに「献上柄」と呼称されるようになったのは、慶長5年(西暦1600年)より黒田長政が筑前を領有、博多織の帯地や織地を幕府への献上品として差し出すようになってからのこと。黒田藩の庇護のもと、博多織は発展の一途をたどることとなる。

独鈷はもともとは鉾のような武器で、仏教上は煩悩を払う目的の法具であり「除災」「厄除け」を意味し、また花皿は、供養で花を散布するときに用いられた器で「おもてなし」「祝福」を意味する。親が子供を守る姿を表す「親子縞」、老いた親を子供が支える姿を表す「孝行縞」という2つの模様も相まって、いつしか博多織は、「嫁いだ先でも家庭円満でありますように」との願いが込められた嫁入り道具として庶民の間でも愛されるように。

博多織とゆかりの深い承天寺では、博多織工業組合の最大の年中行事として毎年11月に開催される求評会(新作発表会)が、13年前の101回目より催されている。求評会では普段は拝観できない境内を一般客にも開放し、新作の博多織はもちろんのこと、紅葉や枯山水の庭での野点の茶会、博多芸妓の舞を楽しむことができるとあって、多くの博多織ファンで賑わうという。

織物としての魅力は、独特のハリとツヤ、それでいてしなやかな締め心地と、きめ細やかなで密な織り。主原料には絹糸(生糸)が使われ、工程は企画、デザイン、意匠、染色、整経、製織、力織機など下準備を含め多岐に渡り、それらすべてに高度な技術を要する。名古屋帯や男性用の角帯、着つけに使う伊達締めなどが博多織の真骨頂だが、着尺やバッグや草履といった雑貨・小物にも博多織は使われる。また模様も伝統の献上柄だけでなく、現在ではコンピューターの導入により細やかで複雑かつモダンな柄も表現できるようになった。

およそ780年の永い歴史とともに育まれてきた博多織。その伝統と柄に込められた想いを知れば、博多織の帯を締めるとき独特の「キュッキュッ」という絹鳴りは、永遠に続く幸せを呼ぶ音に聞こえてくるだろう。

博多刺繍

取材協力:

萬松山 承天寺
福岡県福岡市博多区博多駅前1-29-9
博多織だけでなく博多祇園山笠の起源にも深く関わる聖一国師により建立。博多織求評会のほか、毎年秋に博多地区で開催される「ライトアップウォーク」でも一般公開されている。

有限会社 協和織工場
福岡県大野城市御笠川2-2-11
大正3年創業。昨年100周年を迎える。伝統の献上柄だけでなく新しい意匠の開発にも力を入れ、個性的でスタイリッシュなデザインを得意とする。

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