深い親子の情愛。母から娘への願いーー。博多織は、伝統工芸品としてはさることながら、地元福岡では昔から親子三代に渡って代々受け継がれる嫁入り道具としても愛されてきた。嫁入り道具として大切にされる背景には、織物としての丈夫さだけでなく、博多織の歴史と伝統の柄に深い関わりを見ることができる。
博多織の起源は古く、時は遡ること鎌倉時代の嘉禎元年(西暦1235年)。博多の商人・満田弥三右衛門(みつだやざえもん)が宋の時代の中国へ渡り、朱焼やうどん、蕎麦、お茶などと一緒に、唐織の技術を持ち帰ったことがそのルーツと言われている。ともに宋の国へ行った聖一国師は、帰国後は博多に承天寺を開山。その聖一国師からの提言により、仏教用具の独鈷(どっこ)と華皿を博多織の彩紋として採用したと伝えられおり、この2種の結合紋様に、孝行縞、親子縞と呼ばれる2種の縞を配した柄が、博多織と呼ばれるようになった。さらに「献上柄」と呼称されるようになったのは、慶長5年(西暦1600年)より黒田長政が筑前を領有、博多織の帯地や織地を幕府への献上品として差し出すようになってからのこと。黒田藩の庇護のもと、博多織は発展の一途をたどることとなる。