藍には、機嫌のよしあしがある。それはまるで生き物のよう。工房には漢数字の振られた藍甕があり、職人は藍の泡の状態を 見てその日に使う藍を判断する。片貝木綿は、紺屋と呼ばれる藍染め工房からこうして生まれる日常生活にとけ込む服地である。
片貝木綿の起源はすなわち、紺仁工房の歴史が物語っている。宝暦元年(1751年)越後の国、現在の新潟県小千谷市片貝は、鍛治・大工・染物が栄える江戸幕府直下の領地“天領”として賑わっていた。そこで初代・松井仁助が藍染めを始めたことが、この地に根付く藍染めの始まりであり、後に片貝木綿が誕生する際の重要な中核となる。