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KATAKAI MOMEN

片貝木綿

藍には、機嫌のよしあしがある。それはまるで生き物のよう。工房には漢数字の振られた藍甕があり、職人は藍の泡の状態を 見てその日に使う藍を判断する。片貝木綿は、紺屋と呼ばれる藍染め工房からこうして生まれる日常生活にとけ込む服地である。

片貝木綿の起源はすなわち、紺仁工房の歴史が物語っている。宝暦元年(1751年)越後の国、現在の新潟県小千谷市片貝は、鍛治・大工・染物が栄える江戸幕府直下の領地“天領”として賑わっていた。そこで初代・松井仁助が藍染めを始めたことが、この地に根付く藍染めの始まりであり、後に片貝木綿が誕生する際の重要な中核となる。

厳しい気候風土と伝統的製法から生まれた雪国独自の藍染めである「越後正藍染め」。黒ずんだ力強い藍色に特色があり、藍 を色濃く発色させる下染めには豆汁が用いられる。しかし、大豆の成分は有機物のタンパク質であるため、乾燥に手間取ると 腐敗してしまう。日照時間の少ない雪国越後では、この豆汁に松煙(松の木を燃やした煤)を加えて布に引くという行程が生 じる。松煙は炭素であるため日光をよく吸収し、乾燥時間を早めるというわけだ。十一代目の松井均氏によれば、「松煙する ことで藍が染まりやすいし、浸透しやすい。藍と炭は仲がいい。」とのこと。この灰色がかった布に藍染めをすることで、よ り荘厳な藍の色をした越後正藍染が出来上がる。

そのような製法が受け継がれてきた中、昭和 20 年代、片貝木綿のルーツは、民藝運動の父・柳宗悦(1889-1961)の提唱し た「民衆的工藝運動」の一環から、柳が全国各地の工芸現場を視察した際に訪れた紺仁工房で、土地に根付いた紺屋としての 徹底した仕事ぶりが買われたことに始まる。柳は自ら指導に回り、越後正藍染を改良し片貝木綿という紺仁工房独自の織物が 完成した。それは、鑑賞のための美ではなく日常生活に真にとけ込み、物の内から滲み出る「用に即した美」という考え方を 背負って生まれてきた生地だった。

片貝木綿は、吸湿性が良く、空気を含むと暖かい。暑くなれば繊維内水分が発散して涼しくなる。四季があり多湿の日本の気 候風土に合う素材として着られている。そのような織物としての特徴は、たて糸、よこ糸ともに 1 本の糸を撚ることで柔らか な風合いを作り出す単糸使い。たて糸には太さ違いで 3 種類の糸が組み合わされており、10 番手、20 番手、30 番手の 3 種類 が規則的に配置されることによって、表面が立体的になり肌との隙間に空気をはらみ着心地が良くなる。また、工房内で特徴 的な光景がだら干しだ。織られた反物を上からだらりと干すことからそう呼ばれるが、乾く時に張力がかかるため、目が詰ま る。この行程によって、着る人は洗濯時に縮みを気にすることなく手入れできるのだ。

およそ 270 年続く紺屋。その受け継がれてきた伝統的な製法を知り、片貝木綿が「用の美」を以って日常生活にとけ込んでき たことを想うと、着れば着るほど人に馴染むという文言の意味を肌で感じたくなる。

取材協力:

有限会社 紺仁染織工房

新潟県小千谷市片貝町4935



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