THE YARD


YUKITSUMUGI

結城紬

「結城紬」の始まりは、平安時代に貢物として朝廷に上納されていた絁(あしぎぬ)と言われる“手でつむいだ太糸の絹織物(=あしき絹)”とされており、現在も日本各地に残る様々な紬織物の原形になっている。繭を薄く引き伸ばした真綿糸で織られる「結城紬」は、柔らかな風合いとその丈夫さが特徴。鎌倉時代から江戸時代まで武家に好まれて着用されていた。また結城紬はかの有名な「鶴の恩返し」のモデルになった織物でもある。

その昔、結城紬は地機(いざり機)と呼ばれる織機で織られていたため、織り進むのは1日わずか数センチという過酷な手作業だった。その過酷さは時に「命を縮める」と言われるほどの体力を要するため、情熱を注がれて織られた結城紬はまるで織り手の分身のような存在となっていった。そんな古の想いと技術が、今も織物を通して受け継がれている。

日本の絹織物の原点、最高峰の布

結城紬の最大の特徴である「真綿糸」。結城紬では必ず真綿の手紬糸が使われる。繭をお湯で煮だしてから広げ、これを5~6個重ね、大きな袋状の真綿を作る。そこから人の手で直接糸を引き出す。すると、撚りのない極めて軽い無撚糸が取れる。結城紬が他の紬と比較して暖かく軽いのは、この軽い糸が含んだ空気が真綿の感触としてそのまま肌に伝わるからだ。実際に一反あたりの紡績に約2000個の繭を必要とする。また無撚糸ゆえに繊維が少し毛羽立つのもまた特徴だ。実は、この毛羽は結城紬の着心地の秘訣に一役買っている。生糸の着物は摩擦などでだんだんと薄くなって擦り切れてしまうが、真綿糸を高密度に打ち込んで織り上げているため、結城紬は丈夫に織りあがる。それどころか毛羽が生地に柔らかな手触りを生み出し、風合い豊かな真綿の魅力を引き立たせる。そして使い込んだ後に洗い張り、天日で乾燥させるとまた違った表情を見せる。昔、主人が丁稚にしばらく着させ、馴染んだ後に着たという話からも、着るほどに味わいの出る着物なのだ。

結城紬の流通経路として、栃木県北西部から主な生産地である茨城県結城市を通る鬼怒川の水運により、舟で江戸の街へ運搬されていたとする記述が残っている。こうした絹物の運搬が盛んに行われていたことから、元々は「絹川」や「衣川」と表記されていたが、いつもは穏やかに流れる川が時として、鬼が怒ったように荒々しく氾濫する様子から、現在の「鬼怒川」 と表記されるようになったと言われている。

THE YARDが提案する結城紬は、色のバリエーションを多様に用意し、高級品や鑑賞用の着物ではなく、あくまでスタイリングに取り入れるためのアイテムだ。絹のきものを着るなら、時間と共に変わりゆく風合いを楽しみ、また着用者を問わず触れていただきたい。そんな結城紬は、創業明治 40 年(1906 年)の老舗産地問屋「奥順」に依頼している。 奥順では、日本古来の手作りの良さを持つ「結城紬」を、世界最高の絹織物として後世に伝承し、 創る人々と着る人々の間に立ち、真の美を求め、そこに関わる全ての人の幸せを願い、誇りを持って歩んでいく企業である。

取材協力:

株式会社 奥順

茨城県結城市大字結城12-2



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